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原告 準備書面(1)

平成21年(ワ)第2957号 損害賠償請求事件
 原告 伊藤啓子 外3名
 被告 社会福祉法人名北福祉会

原告準備書面(1)

2010(平成22)年2月12日

名古屋地方裁判所 民事第6部 合議係 御中

原告ら訴訟代理人 弁護士 岩月浩二
    同    弁護士 中谷雄二


 本準備書面は、人身損害に関する学説・判例の検討等を踏まえ、本件において、平均賃金を算定基礎とした逸失利益が認められるべきことを主張するものである。

第1 人身事故における逸失利益をめぐる学説の状況
1 裁判実務

 人身事故における損害賠償に関する裁判実務は、損害を財産的損害と精神的損害に分け、財産的損害を積極損害と消極損害(逸失利益)に分類し、各費目ごとに損害額を評価して加算して損害総額を算定する個別項目積み上げ方式と呼ばれる方法が定着している。この方式による場合、死亡事故においては損害の中心を逸失利益が占めることになるが、逸失利益は、収入に稼働年数を乗じ、中間利息を控除して算定される。
 この算定方法によると、収入の多寡によって逸失利益の金額が大きく左右され、その結果、生命侵害に対する賠償額に大きな差が生じることになる。
 この算定方式については、訴状において述べたとおり、早くも昭和35年には西原道雄教授から根本的な批判が加えられた(私法27号)。同教授は、この算定方法は一見緻密に見えて、不確かな仮定の上に積み上げられたものであること、この方式による場合は、とくに生命侵害の場合は、生命に対する賠償に大きな格差が生じ、人間の尊厳の平等という根本的な原理に反することを指摘して強く批判し、死亡損害についての定額化を提唱した。
 西原教授は、判例理論のように所得の喪失ではなく、死傷の事実そのものを損害とし、人間の尊厳の平等に依拠して定額化を主張したものである。
 定額化そのものは受容されなかったものの、西原教授の主張は、西原理論と呼ばれ、以後、人身損害賠償に対する学会の議論を巻き起こし、裁判実務にも相当の影響を与えてきた。
 何よりも人身被害に対する賠償について収入の多寡によって大きな格差が生じること、なかんずく死亡事故において逸失利益の比重が大きいがゆえにあるべき最低限の賠償すら拒まれることを正当化しようとする見解は学説的には皆無であったといってよい。

2 学説の状況
(1)淡路説

 淡路剛久教授は死傷損害説の立場をとり、評価段階説と呼ばれる方法を主張した。
 教授は、死傷による損害については損害評価の基本理念を原状回復・生活保障に起き、評価方式については、裁判官の創造的活動に依存するのが基本であるとして、当事者は損害を項目別個別的に立証・請求できる(個別損害評価)ほか、個別の主張・立証がなくとも被害に応じた総額で請求すること(包括的損害算定)も可能であるとする。
 具体的な損害立証がなくとも生活保障レベルとして最低限の賠償額として平均賃金までは保障しうるとし、無所得者や減収のない後遺障害者、労働能力の欠損者なども保障されるとしている(淡路剛久「不法行為法における権利保障と損害の評価」134頁、72頁以下)。
(2)四宮説
 四宮和夫教授は、西原理論による批判を踏まえつつも、個別項目積み上げ方式による損害算定方法を支持し、また、稼働能力に対する損害としての賠償は認められてよいとする。
 しかし、人身損害の特殊性から、とくに生命侵害の場合に慰謝料の比重を増やすことに努めるべきことを主張している(「不法行為による人身損害に関する考え方の対立について」現代私法学の課題と展望・上141頁)。
 生命侵害における場合の賠償額の格差が甚大になることを是正する必要を認めている。
(3)吉村説
 吉村良一教授は、人身損害の特殊性を強調し、伝統的な算定方式では、物的損害を基調にしていることから慰謝料の補完的機能によるにも自ずから限界があるとして、人身損害の特質に即した賠償法理が求められているとし、「人間の尊厳の理念に反しない通常の生活保障という意味での生活保障」を基本とし、これを最低限度の共通目標とした上で、それに個別要素を加算的に加味する発想に立つべきであるとしている(吉村良一「人身損害賠償の研究」179頁)。
(4)潮見説
 潮見佳男教授は、損害概念に関して、損害がなければ存在するであろう仮定的状態と侵害後の事実状態の差が損害の本体であり、その差を原状に回復することが損害賠償の目的であるとする立場をとる。
 権利・利益が侵害された場合、その評価は規範的評価であると指摘し、原状回復されるべきは単純な財産状態の差に止まらず、最低限、私法秩序が権利・利益に割り当てた価値、つまり標準人に帰属する客観的価値について、最小限の損害としてその賠償を認めるという方向で調整するのが適当であるとする。
 ここから同教授は、逸失利益については、控えめな抽象的損害額を賠償させることを求め、これを超える加算の方向で具体的な損害を肯定する(潮見「人身損害における損害概念と算定原理・二完」民商103巻5号65頁)。

3 小括
 以上によれば、有力な学説は人身損害について、その特殊性に配慮すべきこと、なかんずく従来の算定方式によって逸失利益が少額ないし皆無となり、同程度の人身損害でありながら、賠償額が低額となることについては、その不合理を等しく認めているといえる。この落差を正当とする見解は皆無といってよい。
 そして、四宮説を除けば、他の学説は、最低限の水準に言及し、最低限の賠償として平均賃金を基準としている。
「人間の尊厳と平等の観点から普通なみの生活(平均的な生活)を保障するに足りる賠償額とすべきである。このような観点から平均賃金がとりわけ重要な意味を持ってくる」(淡路「不法行為法における権利保障と損害の評価」113頁)
「規範化された人間らしく生きる権利の回復という意味での原状回復、人間の尊厳の理念に反しない通常の生活の保障という意味での生活保障をまず基本として考え、そしてそれをいわば最低限の共通目標として置いた上で、それに個別的な要素を加算的に加味する」(吉村「人身損害賠償の研究」179頁)
「現在の裁判例において無職者・幼児についてなされている労働能力喪失率と賃金センサスを用いた逸失利益の(控えめな)抽象的算定方法、及びこれを含め交通事故賠償実務で一世を風靡した『基準額』の発想を、全ての人身損害の場合に『最小限の損害』の算定原理の一つとして一般化することを提唱する」(潮見「人身損害における損害概念と算定原理・二完」民商103巻5号66頁)

第2 死亡事故に関する裁判例における損害の規範的評価
1 年少児(男児)死亡事故に関する判例の推移

 生命侵害に関する損害賠償について、厳密な差額説ないし所得喪失説的な志向によれば、いまだ稼働年齢に達しない年少者・乳幼児については、逸失利益は認められないとする判断も論理的にはあり得る。
 こうした判断は平均賃金による算定方法が定着した現在からは非常識というほかないが、現に、昭和37年には3歳2ヶ月の男児の死亡事故について、いつ頃、少なくとも幾らくらいの収入を得るかを適確に推認することはできないとして逸失利益を否定した原判決を是認した最高裁判例も存在した(最高裁昭和37年5月4日・民集16巻5号1044頁)。
 その後、最高裁は、8歳の男児の死亡事故について、「不法行為により死亡した年少者につき、その者が将来得べかりし利益を喪失したことによる損害の額を算定することがきわめて困難であることは、これを認めなければならないが、算定困難の故をもつて、たやすくその賠償請求を否定し去ることは妥当なことではない」として年少児についても逸失利益を否定することはできないとの立場を明確にした(最判昭和39年6月24日・民集18巻5号874頁)。
 この最高裁判決は、「年少者死亡の場合における右消極的損害の賠償請求については、一般の場合に比し不正確さが伴うにしても、裁判所は、被害者側が提出するあらゆる証拠資料に基づき、経験則とその良識を十分に活用して、できうるかぎり蓋然性のある額を算出するよう努め、ことに右蓋然性に疑がもたれるときは、被害者側にとつて控え目な算定方法」を採用することを求めて、原審が用いた平均賃金による算定方法を破棄したものであるが、その後、年少者について一律に平均賃金を用いた算定方法が定着していったことは公知のとおりである。

2 女児死亡事故に関する判例の確立
 将来収入が得られる蓋然性に依拠する限り、女性の結婚退職が一般的な社会においては、女児の死亡事故については、平均的な婚姻年齢以降の逸失利益は否定せざるを得ない。
 現実に女児については、統計的に結婚が予測される年齢までしか逸失利益を認めない判決例も少なからず存在した。その結果、死亡事故の賠償額には男性か女性かという属性によって大きな差が生じることになる。
 最高裁は昭和49年に至り、7歳の女児の死亡事故について、25歳には結婚して離職することを前提として、25歳までしか逸失利益を認めなかった原判決を破棄し、平均稼働年齢までの逸失利益を認めるのが相当であるとした(最判昭和49年7月19日・民集28巻5号872頁)。この判例は家事労働が財産上の利益を挙げる性格のものであることを根拠としている。この判決以降、無収入の主婦についても平均賃金を用いた逸失利益の算定が定着していったこともまた、公知である。
 しかしながら、現実社会において男女の賃金に顕著な差がある以上、女性の平均賃金を用いた逸失利益の算定では、なお死亡事故において著しい格差が生じることは避けられない。
 下級審判例は、この点を生活費控除の割合を低く計算することや、慰謝料を増額することによって男女差を縮小する努力を重ねてきた。近時の下級審判決では、女性労働者の平均賃金ではなく、全労働者の平均賃金を用いる例が増加してきている。
 このように裁判実務は、死亡事故(ないし傷害事故)においては、被害者の属性を問わず、最低限の賠償額を確立しようとしてきたと言ってよい。

3 損害の規範的評価
 判例は家事労働を平均賃金に置き換えて、無収入の主婦の逸失利益を認めるが、家事労働によって利益を得るのは具体的な家族であって、これを財産分与などを媒介として被害者である主婦の固有の逸失利益とし、これが相続されるとする構成は、フィクションというほかない。まして、家事労働にいまだ従事せず、その利益を受けるべき家族も確定しない段階の女児の死亡事故について、家事労働による女児の逸失利益を親が相続すると構成するのは、論理的には無理を犯しているといわざるを得ない。
 こうした構成によって実現されているのは、事実に基づく逸失利益の賠償ではなく、生命侵害に対する最低限の賠償の要請である。そこには、生命侵害の事例においては、人間の尊厳や平等の要請を無視できないとする厳然たる規範的な評価が働いていることは明らかであろう。
 先述したとおり有力な学説は、平均賃金を用いた最低限の賠償基準を確立することを求めており、幼児や女児、主婦等に対する裁判例の動向もこれと一致している。
 個人の生命は何物にも代え難く、本来的に財産的評価になじむものではない。逸失利益による賠償という手法は、生命という価値に対する最低限の適切な賠償額を決定するための一つの規範的評価として確立してきたものというべきである。それが規範的評価によって確立された一つの法的技巧であれば、人間の尊厳と平等の要請から明らかに不合理とみなされる場合に修正を迫られるのは当然である。
 生命侵害の不法行為において、賠償額に格差が生じることが人間の尊厳とその平等の要請に反し、規範的に容認しがたいのは男女間格差に限られる問題ではない。男女における生命の賠償に対する格差が規範的に容認しがたいのと同様、障害児についても命の尊厳は平等に保障されなければならない。

第3 知的障害児の死亡事故に関する判決・和解例
1 東京高判平成6年11月29日
(判例時報1516号78頁)
(1)事案
 事案は、神奈川県立伊勢原養護学校高等部2年に在籍する男児(16歳)が水泳訓練において学級担任教諭からマンツーマン方式で指導を受けている最中に多量の水を吸引して意識不明となり、溺死した事例である。
 男児は、言葉が発達しないということで2歳の頃から児童相談所に通い、5歳頃に自閉症との診断を受け、事件当時までT大学医学部附属病院精神科外来で療養指導を受けていた。
(2)横浜地判平成4年3月5日(判例時報1451号147頁)
 一審の横浜地裁は、男児の卒業後の進路としては、地域作業所に進む蓋然性が最も高いと認められるので、男児の死亡による逸失利益の算定に当たっては、地域作業所入所者の平均収入を基礎とすべきであるとし、逸失利益は120万1161円に止まるとした(なお、男児の慰謝料1500万円、両親の慰謝料各500万円を認め、総認容額は約2860万円)。
(3)東京高判平成6年11月29日(判例時報1516号78頁)
 東京高裁は、原審の逸失利益に関する判断を覆し、神奈川県の最低賃金及び養護学校高等部卒業自閉症児男子生徒の平均初任給等に基づき、逸失利益として1800万円を認容した(総額約4400万円を認容)。
あ. 子どもの発達可能性と人間の尊厳
 同裁判所は、年少者の発達可能性と生命侵害の事案の特殊性について自覚的であり、逸失利益を算定する前提として以下のように述べている。
「死亡した未就労の年少者の逸失利益の算定にあたっては、平均的な就労中の成人の死亡の場合に通常採られている賃金を基礎とする算定方式により算定される死亡当時の現価としての逸失利益と比較して、その年令とこれに伴う潜在的な不確実要因が往々あることからして、おのずから将来の発育の過程においてその能力が将来発展的に増大ないし減少する可能性があるから、なお、現時点で固定化して現価を算出するには不安定、不確実な要因等の存在も多分に予測され、これらを全く無視することができない場合がある。
 それ故、年少者の死亡時点における人間の能力、価値を固定化し、この時点に明らかにされている要因だけを基礎として年少者の死亡による逸失利益を算出することが、必ずしも絶対的な方途ということかできない場合があると推察されるのである。
 このような場合には、不確実ながら年少者であるが故にまた潜在する将来の発展的可能性のある要因をも、それが現時点で相当な程度に蓋然性かあるとみられる限りは、当該生命を侵害された年少者自身の損害額を算定するにあたって、何らかの形で慎重に勘案し、斟酌しても差し支えないものと考える。
 このことは、こと人間の尊厳を尊重する精神のもとで、ひとりの人間の生命が侵害された場合に一般化された損害の算式によりある程度抽象化、平均化された人間の生命の価値を算出する方法を取るなかで、これによる算定額によるのみならず、それが実損害の算定から掛け離れたものとならない限り不確実ながらも蓋然性の高い可能性をもつ諸般の事情をも十分に考慮されてもよいといえるからであって、このことは不確定要因の多い年少者の場合に往々いえることである。
 当裁判所は以上の観点から本件事故により死亡した当時満一六才のAの逸失利益の額を評価・算定することとする。」
 ここで裁判所は、年少者の逸失利益の算定に当たっては、子どもの持つ将来的な潜在的発達可能性に留意して、死亡時における能力や状態を固定的にとらえべきではないことを強調している。
 そして、そうして算出された逸失利益が実損害とかけ離れたものとならない限り、このことが人間の尊厳を尊重する精神に適うとの当然のことを確認する。
い. 生命の価値の根源性
 同判決はまた、被控訴人の主張に対して、以下のような判示もなしている。
「被控訴人らはA君が自閉症であることから将来も地域作業所に終生入所しそこにおける作業等により与えられる金員だけに限定し、それが全逸失利益と評価するべきというが、こと人間一人の生命の価値を金額ではかるには、この作業所による収入をもって基礎とするのでは余りにも人間一人(障害児であろうが健康児であろうが)の生命の価値をはかる基礎としては低き水準の基礎となり適切ではない(極言すれば、不法行為等により生命を失われたも、その時点で働く能力のない重度の障害児や重病人であれば、その者の生命の価値を全く無価値と評価されてしまうことになりかねないからである。)。」
 東京高裁は、逸失利益の問題が生命の価値に関わる問題であり、低きに失する逸失利益は、稼働能力のない重度障害児の生命の価値を無価値と評価するに等しいとして、被控訴人らの主張を根本的に批判しており、この批判は本件訴訟における原告らの立場と共通するものである。

2 札幌地裁平成21年12月4日和解(甲36)
 平成21年12月4日、札幌地方裁判所において、死亡時17歳の重度の自閉症男児について、逸失利益を含む和解が成立した。この事例では、裁判所は道内の最低賃金に基づいて算定された金額から生活費を控除した約1131万円に20歳から65歳までの障害年金約431万円を加えた和解金額を提示し、被告もこれに応じたものである(既払い額を含め総額約4013万円)。
 事案は、養護学校高等部2年に在籍する重度の自閉症男児が障害者施設のヘルパーとともに路線バスを利用して札幌市内の公園へ出かけた際、バスが停留所で停車し、ヘルパーが運賃を支払っている間に男児が道路へ飛び出して乗用車にはねられて死亡した事故である。
 この事案における死亡男児は、重度の自閉症であり、東京高裁判決の男児の障害に比べても重い障害を有していた。重度の知的障害児において逸失利益約1560万円を含む和解が成立したものである。
 この事案でも被告側は、逸失利益は存在しないとしていたが、逸失利益を含む和解が成立したものである。

3 青森地裁平成21年12月25日判決(甲37)
 事案は、養護学校高等部2年に在籍し、同校の寮に入所していた自閉症、てんかん、行動傷害、知的障害の男児(死亡当時16歳)が、寮内において入浴中に死亡した事案である。
 この事例では、男児の知的障害はIQ24と重度であったが、青森地裁は、県の最低賃金を算定基礎とする逸失利益を認めた。
 同判決は、男児の社会的規範やルール等に対する理解やコミュニケーション能力等が不十分であって、直ちに一般的な就労可能性があったとするのは困難であるとしたが、「教育・生活指導を受けることで、その卒業時までにおいてもさらに成長することが期待され得る」とし「支援や介助を得ながらであれば、簡易単純な作業には十分に従事しうるまでに至っていたものと考えられる」とし、「さらに今後の医学、心理学、教育学等の進歩、発展等を考慮すれば、(中略)自閉症を含む知的障害者に対する指導、支援の方法について、徐々にではあってもより効果的な手法をもたらす知見が得られる蓋然性はあるというべきであって、このような見地に立つと、上記のような生活支援及び就労支援を受けながら、一定の作業に従事しつつ、社会生活を営むことにより、将来、さらにその能力を高め、より高度な労働に従事し得る能力を獲得する一方、就労に際して障害となる行動的特徴をより抑制することが可能となる蓋然性もあるというべきである」として就労可能性を認めた。
 さらに同判決は、「知的障害者が一般企業へ就労する機会が増えつつある現状に鑑みれば、健常者の賃金水準には劣るとしても、知的障害者がその有する能力を十分に活用することができる職場において就労する機会を得て、授産施設における作業による賃金と比較すれば高水準の賃金を得ることも可能な状況になりつつあるということができ、このような状況は、障害者に対する理解が遅々としたものではあっても徐々に深化してきていることを示すものというべきであって、今後も将来にわたって、知的障害者がその能力を十分に活用することができる職場が徐々に増加することを期待しうる」とし、「知的障害者雇用に関する社会条件の変化をも併せて考慮すれば、(中略)50年にもわたる就労可能期間を残して死亡した男児が、自閉症を含む重度の知的障害を抱えながらも、その就労可能な全期間を通して相当の賃金を得ることができた蓋然性を否定することはできないというべきである」として、「一定の生活支援及び就労支援を受けることを前提として、少なくとも最低賃金額に相当する額の収入を得ることができたと推認するのが相当である」として、最低賃金額を基礎収入として逸失利益を算定した。
 この判決は、医学、心理学、教育学等の進歩による障害児の発達可能性の拡大、さらに障害者に対する社会的な支援、就労環境の変化などの社会条件の前進も考慮して、少なくとも最低賃金相当額の逸失利益を認めたものである。重度の知的障害児についても就労可能性を認め、最低賃金額を基礎とする逸失利益を認めたものとして画期的な判決である。
 但し、判決が収入に対する生活費率を7割としてこれを控除するなどし、逸失利益の認容額として低額に止まったのは、不十分と言わざるを得ず、障害者に対する社会的差別がそのまま判決に反映するという問題を残している。
 この点は、前記東京高裁平成6年判決のように生命侵害の場合における賠償が基本的に生命の価値に対する賠償とならざるをえないという基本認識をもって判断がなされるべきであったと考えられる。
実際にも、死亡しなければ、男児は稼働収入とともに障害者年金を併せて受給するのであるから、収入に対する生活費率を通常以上に高く設定する理由はないというべきである。

第4 障害児の生命侵害の損害額について
1 損害の規範的評価

 西原理論を嚆矢とする人身損害に関する議論において、大方の学説が、現実収入の如何を問わず、最低限の賠償を認めることによる賠償額の底上げを主張し、有力な学者の多数がその算定基礎として平均賃金による逸失利益相当額を挙げていることは第1において明らかにしたとおりである。
 西原理論が提起した生命侵害の損害賠償における人間の尊厳や命の尊厳の平等という本質的要請は何人にも否定できない真理であるからに他ならない。そこには生命侵害における賠償額の算定においては規範的評価が避けられないことが共通に認識されているといってよい。
 一方、裁判実務は、生命侵害の損害賠償についても、蓋然性に基づく推定による事実認定の手法を用いて損害額を算定をする姿勢を崩していない。
 しかしながら、女児死亡事故に関して、家事労働を有償労働とみなして平均賃金による逸失利益を認める判例が確立してきた経過には、明らかに生命侵害における男女間格差が人間の尊厳の平等の要請に反するとする規範的評価が働いている。
 様々な手法を用いた裁判実務の積み重ねの中で、生命侵害における男女間の賠償額の顕著な格差は相当程度、克服され、現在では、女性について全労働者の平均賃金を用いて逸失利益を算定する裁判例も増加している。
 女児死亡事故の分野では、有力学説の主張するところと、裁判実務の開きは相当程度に解消されてきたといえる(但し、人身侵害事故において現実収入によって逸失利益を算定する裁判実務と平均賃金を最低限の算定基礎とすべきとする学説の開きはなお埋められていない。不安定雇用が一般化する社会において、この不平等が改めて問題として顕在化する可能性がある)。

2 障害児死亡事故について
 障害児の逸失利益の問題に焦点が当てられるようになったのは、女児の逸失利益にはるかに後れ、前記平成4年3月5日の横浜地裁判決、平成6年11月29日の東京高裁判決をきっかけとしている。中程度の知的障害児の死亡事故であるにも拘わらず、一審判決は生涯逸失利益としてわずかに120万円を認容したにとどまった。まして、重度の知的障害児に逸失利益を認める判決は、それから15年を経た昨年12月24日の青森地裁判決が最初である(なお、付言すれば、知的障害児の死亡事故の多くは交通事故によるものと推測されるが、死亡事故の自賠責保険金3000万円は知的障害の有無を問わず支払われていると見られる。したがって、「万々が一、原告らの主張・請求が是認されるようなことがあれば、現状のいわゆる交通事案等全てが不当判決となる」[被告平成21年9月18日付準備書面5頁]との主張は明らかに誇張である)。
 先駆的と評価されるこれらの裁判例においてもなお、逸失利益の算定基礎として最低賃金を用いる限り、損害賠償額は極めて低額なもにとならざるを得ず、生命の価値において障害児は不当に差別され続けていると言わなければならない。
 先に述べたとおり、女児の逸失利益について、家事労働の有償性を認めて逸失利益を算定する判例は、表面的には蓋然性による事実認定の枠を維持しているが、有償な家事労働による逸失利益が被害者本人に発生し、これが相続されるとする法律構成はフィクションと呼ぶほかない。さらに言えば、むしろこの損害額算定は、裁判所が創造した法的・規範的な擬制と呼ぶのが適切である。人の命がすべからく平等なものであるのであれば、その侵害に対する賠償も原則的には等しく平等でなければならないからである。この本質的要請にしたがっているがゆえに、平均賃金を用いた法的な擬制も許されるというべきである。
 こと生命侵害に関して、男女間の顕著な格差を埋めるために法的な擬制が許されるのであれば、障害児の死亡事故に関しても、同様な擬制が行われるべきである。不安定雇用が広がる社会情勢を踏まえれば、こと死亡事故に関する限り、こうした擬制は、不安定労働に従事する者にも拡大して行かざるを得ない。その意味で、こうした法的擬制は現代的合理性も有する。

3 障害児の生命侵害における逸失利益に関する裁判例の問題点
 障害児の生命侵害における逸失利益の問題に光が当てられるのは男女の賠償額の格差が論じられたときからはるかに後れる。この問題を正面から提起したのは、吉村良一教授が最初である(甲38「人身損害賠償額算定に関するいくつかの問題」立命館法学1992年5・6月号922頁以下)。
 教授は、前記平成4年横浜地裁判決に対し、
「この問題においては、人身損害とは何か、とりわけ子どもの死亡による損害とは何かが根底から問われることになる。すなわち、純粋に経済的に見れば、重度の障害児の死亡はその親にとって不利益ではない。しかし、障害児を抱えてそれまで育ててきた両親がその不慮の死によって受けたであろう心の痛手がいかばかりのものかは察して余りある。それが損害賠償の問題となったとき、本判決のように、逸失利益はわずか120万円だとして、障害のない子供の場合と何十倍もの差が出ると言われて納得する親が果たしているであろうか。また、今日の社会は、そのような格差を当然とは言わないまでも、やむをえないものとして認めるであろうか。」 と当事者の立場や社会通念に基づく当然ともいうべき疑問を提起する(同旨。山口茂樹「人身損害賠償と逸失利益(総論)」新・現代損害賠償法講座6巻164頁)。
 この疑問に続いて、教授は、3点にわたって問題を指摘している。
 第1は、所得喪失説や稼働能力喪失説を前提としても、かかる逸失利益の算定が妥当かという実務的な批判である。
「子供の場合、将来の障害の治癒ないし軽度化の可能性を含めて、その進路については予測がつかない部分が少なくない。ひるがえって、障害のない子供が被害者の場合でも、将来の職業や収入については予測困難ないし不可能な部分も多い。しかし、すでに述べたように実務は、その点にはある意味で目をつぶって平均賃金による算定を行っているのである。だとすれば、障害児についても本判決と異なる算定がありうるのではないか。」
 第2は、法の下の平等の要請の観点からの問題点である。
「障害のない子供の場合の基準である平均賃金とおよそかけ離れた基準による逸失利益しか認めないことが、障害者の権利の確立が叫ばれる今日において、法の下の平等理念に抵触することはないのだろうか。そして、このような点を考慮すれば、規範的な考慮を働かせて、ちょうど先に述べた逸失利益の男女格差の問題において多くの論者や裁判所が行なったような調整を行うべきではないのか」
 第3は、子供の死亡事故における損害の実質に関する問題である。
「名目はどうであれ、子供が死んだ場合に親の被る損害の実質は精神的ないし非財産的損害である。(中略)このように子供死亡の場合の損害の実質を精神的ないし非財産的な損害と見るならば、子供を失ったことによる親の悲しみは障害のない子供と何ら変わるところがないのだから、両者に差を設けるべき理由は存在しないこととなる。そして、これまで障害のない子供に対して、平均賃金により算定された賠償が、名目は逸失利益として、しかし実質的には精神的ないし非財産的損害の賠償として認められているという事実を前提にすれば、法の下の平等理念からしても、同額の賠償を認めるべきである」
 教授の論考から18年を経て、なお重度知的障害児の死亡事故において、逸失利益を否定する例が存在する現状には暗澹たる思いを抱かざるを得ない。子どもの死亡事故における賠償額算定が、基本的に一つのテクニックによるものであれば、平均賃金を基礎とした逸失利益の算定方法を用いることは当然というべきである。

4 障害者の権利に関する条約
 政府が平成19年に署名し、批准に向けて国内法の整備を準備している国連「障害者の権利に関する条約」は、
「1. 固有の尊厳、個人の自律(自ら選択する自由を含む。)及び個人の自立を尊重すること。
2. 差別されないこと。
3. 社会に完全かつ効果的に参加し、及び社会に受け入れられること。
4. 人間の多様性及び人間性の一部として、障害者の差異を尊重し、及び障害者を受け入れること。
5. 機会の均等
6. 施設及びサービスの利用を可能にすること。
7. 男女の平等
8. 障害のある児童の発達しつつある能力を尊重し、及び障害のある児童がその同一性を保持する権利を尊重すること。」
を基本原則として掲げ(3条)、これを実現するための詳細な規定を設けている。
 同条約は障害を理由とするあらゆる差別(障害を理由とするあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害を理由とする差別には、あらゆる形態の差別[合理的配慮の否定を含む。]を含む。2条)を禁止し(5条)、障害者が、精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させる教育制度及び生涯学習を確保すること(24条)、障害者が他の者と平等に労働する権利を認め、障害者が自由に選択し、承諾する労働によって生計を立てる機会を有するものとし、雇用に関する障害を理由とする差別の禁止、職業訓練の機会の確保、雇用機会の確保、公的機関における雇用等の対策を採ること(27条)を締約国に求めている。
 また、障害者をめぐる社会状況も確実に変わりつつあり、重度知的障害者を雇用する民間企業も増えつつある。
 年少児の死亡に関する逸失利益の算定が適切な賠償を定めるための法的技術であり、本質的に規範的なものであることを踏まえれば、障害者の権利に関する条約や知的障害者をめぐる社会的な変化をも当然に逸失利益の算定に反映されなければならない。

5 結論
 吉村教授が正当に指摘するように、子どもの死亡事故における損害賠償の実質は、子どもを失った家族が被った精神的打撃や、子どもを失ったことによる人生の喪失に対する賠償である。
 そして、子を失ったことによる精神的打撃等は、その子が健常児であろうが、障害児であろうが、全く変わりがない。むしろ障害を持つ子の家族の場合には、健常児以上に子を慈しんで育て、子とともに障害を背負い、これを克服すべく日々努力してきただけに途半ばにして子を失った精神的打撃はより深いものがある。
 原告らは、障害のある亡晃平というかけがえのない個性に寄り添い、亡晃平の成長に向き合ってきた。亡晃平の成長する姿に、自閉症も治るのではないかと期待し、亡晃平の自立へ向けた努力を重ねてきた。亡晃平は、限りない生き甲斐を原告らに与えてきたのである。
 他方、亡晃平は、他者の支援が不可欠という障害を有しているが故に、亡晃平を慈しみ、愛する人々を必要とした。亡晃平はこうした人々の支えの中で、生きることの幸福を知る途上にあった。
 原告らも亡晃平も、障害があるゆえに、障害と正面から向き合う中で、限りない人生の豊穣を見いだしてきた。本件事故によって生命を奪われることがなければ、亡晃平の人生にも、また原告らの人生にも、障害がもたらす豊穣さが保障されていたのである。
 将来収入は、死亡事故によって、失われるものの限られた一部を算定しているに過ぎない。逸失利益が将来収入のみに尽きるものではないことは淡路教授以来、多くの学説が述べるところである(潮見教授が人身に対する法益の原状回復の観点から平均賃金による賠償を主張していることは先に述べたとおりである。最近の学説では、将来収入を基礎とする財産的損害としての逸失利益とも精神的苦痛に対する慰謝料とも異なる第3の法益を見いだそうとする傾向も生まれている。岡本詔治「人身事故損害賠償のあり方」新・現代損害賠償法講座6巻130頁以下。155頁等参照)。
 本件事故によって失われたものの本質は、人生のもたらす豊穣さである。
 本件においては、原告らや亡晃平が、苦悩を抱えつつ障害に正面から向き合い、障害を克服すべく多くの人々との交わりの中で生きる人生の豊穣さが失われたことを直視し、これをも逸失利益に含むべきである。
 かかる人生の豊穣さの喪失こそ「損害の性質上その額を立証することが極めて困難」な損害として、民事訴訟法248条により、適切な損害額、すなわち平均賃金を基礎とする逸失利益が認められるべきである。

(改行、太字装飾追加、他原文ママ)