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訴状

訴状

訴     状

2009(平成21)年 5月27日

名古屋地方裁判所 御中

原告ら訴訟代理人
弁護士 岩 月 浩 二
  同  中 谷 雄 二


当事者の表示
  別紙当事者目録記載のとおり

損害賠償請求事件
訴訟物の価額 金7590万0000円
貼用印紙額    金24万8000円

請求の趣旨
  被告は原告伊藤啓子に対して、金6600万0000円及びこれに対する平成19年12月22日から支払い済みに至るまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
  被告は原告●●●●に対して金330万円及びこれに対する平成19年12月22日から支払い済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
  被告は原告●●●●に対して金330万円及びこれに対する平成19年12月22日から支払い済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
  被告は原告●●●●に対して金330万円及びこれに対する平成19年12月22日から支払い済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
  訴訟費用は被告の負担とする。
  仮執行宣言

請求の原因
第1 当事者
 被告は、「ショートステイWITH」の名称で●市●区●町●丁目●番地●において、障害者自立支援法及び知的障害者福祉法に基づき指定短期入所事業を経営する者である。
 原告伊藤啓子(以下、単に原告というときは原告伊藤啓子を指す)は、「ショートステイWITH」に宿泊中、同施設の階段から転落死亡した伊藤晃平(以下、晃平という)の母親であり、原告●●●●(以下、原告●●という)及び原告●●●●(以下、原告●●という)は、晃平の姉であり、原告伊藤●●(以下、原告●●という)は、晃平の兄である。

第2 本件事故の経過
1 本件事故
 原告の二男伊藤晃平(平成4年1月22日生。以下晃平という)は知的障害があり、自閉症も有していた(甲1)。
 晃平は、平成19年12月22日未明、被告が設置するショートステイWITH(以下、WITHという)に宿泊中、階段から転落し、同日午後8時10分、死亡した(甲2。以下、本件事故という)。
2 WITHの業務状況
 WITHは、昼間は、「共同作業所WITH」として、障害者の授産施設として運営されている。ショートステイは、主として同作業所の利用者が利用しており、同作業所の利用者がない夜間について、一般からも利用を受け入れている(甲11の重要事項説明書2頁「5.サービス提供職員の設置状況」には、全職員が兼務とされており、これは昼間の「共同作業所WITH」の職員が「ショートステイWITH」を兼務していることを示している)。
3 指定短期入所事業利用契約の締結及び契約時の状況
 原告は、平成19年10月26日、被告との間でショートステイWITHにかかる指定短期入所事業利用契約を締結した(甲10、甲11)。
 契約締結に際して、原告は晃平及びヘルパーを伴ってWITHを訪れ、被告の職員である訴外A、B(以下、A、Bという。但し、Bについてはこのとき名乗らなかったため本件事故後の経過の中で名前を知った)と面接した。
 原告は、この席で晃平の状態を説明するとともに、全介助(日常生活の全てについて付き添って、危険から守り、介助する、常に職員の手の届く範囲に置いてもらう)を依頼した。また、晃平は危険なことが判断できず、出入り口があれば勝手に出ていってしまうので鍵を付けたり援助すること、排泄については、トイレや便所と言う言葉は通じないので、「うんこ?」「おしっこ?」と確認すること、トイレも自分ではできないので介助することなど、具体的に申し入れ、両名はその趣旨をメモしていた。
4 ショートステイの利用
 晃平は、その後、平成19年10月27日午後4時から28日午前9時まで、同年11月22日午後4時から23日午前9時までWITHにおいて、ショートステイを利用した。
5 本件事故当日の委任
 原告は、前2回と同様、平成19年12月21日午後4時、晃平をWITHに連れて行き、担当職員である前記Aに晃平を預けた。
6 晃平の死亡
 12月22日午前5時30分頃、Aから電話があり、晃平が階段から落ちて、脳震盪で意識がないので、救急車を呼んだとの連絡があった。
 その30分ほど後に、第一日赤にいるので来てくださいとAから電話があり、原告の姪(原告の姉Cの長女)のDに運転してもらって原告の二女である原告●●、長男である原告●●の4人で病院に向かった。
 病院には、その後、原告の長女である原告●●●●及びその夫、原告の姉C、兄Eも駆けつけ、晃平の容態を見守ったが、同日、午後8時10分、晃平は急性硬膜下血腫により死亡した(甲2)。
 原告は、晃平の養育について、晃平の姉に当たる原告●●●●、原告●●や兄に当たる原告●●はむろん、叔父・叔母、従姉妹などの協力も得ていたので、晃平を思う気持ちは、身内一同に共通の深くつらいものがあった。

第3 事故後の経緯の概要
1 事故後年明けまでの被告の対応
 その後、原告は最愛の二男を失った痛手から平静を保てない状況が続き、被告との接触は、もっぱら姪のD夫婦や長女の原告●●やその夫等を通じて行った。
 被告は、積極的に自ら事故状況を明らかにしようとはせず、これら親族から問いかけられて初めて口頭で説明する等の対応に終始した。また、この間、事故当日を含め3度の晃平のショートステイを一貫して担当してきた職員であるA及びF(名前不詳)から直接事故状況の説明を受ける機会はなかった。
 契約書19条2項には、事業者の責に帰すべき事由により利用者に損害を与えた場合には、「速やかに賠償する」との記載があるが、平成20年1月10日、原告●●が電話でG(被告の渉外担当者と思われる。以下、Gという)に仏壇・墓代等について尋ねても「上の者と相談しているから、まだだと言っている」ときつい調子で反論され、被告代表者の連絡先を尋ねても、「なぜ教えなければならないのか」と問い返された。Gは、今日中に代表者から連絡させると約束したものの、その後、代表者からの連絡はなかった。
2 話し合いの場を求める原告の要求
 原告は、平成20年1月18日、損害賠償について話し合いの場を設けることや事故状況の報告を求める内容証明を発し、1月19日、被告に到達した(甲12)。
3 被告の名古屋北法律事務所への委任
 平成20年1月25日頃、被告から本件について、名古屋北法律事務所に委任した旨の通知とともに「共同作業所WITH 事故状況報告書」が送付されてきた(甲13)。
 そこで、原告は、1月26日頃、名古屋北法律事務所に架電し、長谷川一裕弁護士と話して話し合いの日取りを決めてもらうように申し入れた。
 28日頃、同弁護士から連絡があり、2月8日午後4時30分に同弁護士と加藤悠史弁護士が原告方に赴いて、接触を持つこととなった(原告自身が被告関係者と直に接触したのは、このときが初めてであった)。前後して同日、名古屋北法律事務所から損害賠償については、慎重に検討しており、猶予をもらいたい旨、「法人のしかるべき担当者から本件事故状況を説明する趣旨であれば、できる限り早い時期に持たせていただく」旨の「御通知」が送付されてきた(甲14)。
4 損害保険会社からの連絡
 しかし、その後、2月5日頃に、Z損害保険株式会社(以下、Zという)のH(以下、Hという)から電話があり、弁護士と日程を合わせているので、話し合いの日程を2月15日までに連絡するとの話があり、2月12日には、損害賠償についての話し合いはZが担当することになったとの連絡があった。
5 損害保険会社による事故対応・事故処理
 2月15日、Hが、一人で原告方を訪れた。被告からの伝言はなく、Hは、障害者なので、「生きていても社会に対する利益がないケースだ」と障害者を差別する見解を平然と述べ、原告を著しく傷つけた。
 2月25日、Zから愛護手帳の写しを送付することを求める書面が届き(甲15)、原告はこれを送付したところ、3月5日、慰謝料1450万円、葬儀費用100万円、合計1550万円を損害賠償の内容とする旨の書面が送付されてきた(甲16)。
 原告には障害者年金等、各種給付がなされているが、Zの説明は、これらについてすら一切顧慮しようとせずに逸失利益をゼロとする障害者の命に対する差別を当然としてはばからないものであった。
6 再度、話し合いの場を設けることを求める原告の要求
 3月1日、原告の義兄(原告の兄の妻の兄)Iが被告に架電したところ、Gは、理事会で弁護士に任せることに決めたので会えないとのことであった。
 このため原告は3月7日、改めて内容証明郵便で、被告代表者との話し合いの場を3月17日までに原告の自宅において設けることを申し入れ、3月8日被告に到達した(甲17)。
7 被告の回答
 3月12日頃、被告代表者名による「御返答」が送付されてきた。被告代表者は病気療養中のため出席することができない。話し合いの場は名古屋北法律事務所とすること、話し合いの内容は補償の話ではなく、事実説明と再発防止に限るとするものであった(甲18)。
 上記回答は、本件事故時における担当者中、Aのみを参加させ、Fの参加を拒むものであり、また、被告代表者が同じ頃、名古屋北法律事務所の催しに参加していることを見たとの話が伝わったこともあり、原告は被告に対する不信感をいっそう深めることになった。
8 被告職員による焼香・謝罪と担当職員による謝罪の拒否
 その後、原告と被告の間では、どこで話し合いをするか等について、やりとりがあったが、結局、3月17日にGとBが焼香と謝罪に訪れたのみであった。
 その後のやりとりでは、「担当職員による謝罪は1回したので、もう全て解決するまでは遠慮してほしい」との被告代表者の意向がGから伝えられ、現在に至っている。
 なお、原告は本件事故当日、Aが病院に同行していたのは確認しているが、直接の謝罪は受けた記憶がなく、Fに至っては、一度も会ったことがない。
9 被告の賠償提示額への固執
 その後、原告伊藤啓子は、弁護士に委任して、被告と交渉をなしたが、被告は当初の提示額1550万円にわずか150万円を上積みしたのみであり、晃平には逸失利益がないとする主張を譲ろうとしない。

第4 責任原因
1 債務不履行責任
 被告は、原告及び晃平に対して、「利用者の身体その他の状況及びその置かれている環境に応じて必要な保護」を行い(甲10・4条1項、甲4・5項(ウ)(1))、その「生命、身体の安全確保に配慮する」安全配慮義務を負担している(甲10・12条)ところ、仮に被告から原告に対して提出された事故状況報告書(甲13の2)の記載を前提としても、少なくとも、次の点で被告には入所者に対する安全配慮義務違反が認められる(甲10・12条)。
 (1) 原告は、利用契約締結時に晃平は安全の判断ができないので、出入り口には必ず鍵をかけてほしいと申し入れていた。本件寝室は、出口から直ちに狭く急な下り階段になっているにも拘わらず、本件事故時、階段に至る出口に鍵はかけられていなかった。
 (2) 原告は、晃平の具体的な状況を踏まえ、全介助の必要性を説明し、排泄を含む介助を申し入れていたが、被告は、晃平が立ち上がったことを知りながら、寝ながら声をかけるだけで介助することを怠った。
 (3) 前記した本件施設の構造から階段から転落する事態が十二分に予測できたにも拘わらず、晃平が立つ気配を感じ、布団の横を歩いていくのを知りながら、Aが「トイレか、晃平くん」と声をかけるのみで、ドアの開く音をきいても、「Fさん、晃平くんのトイレお願いしていい?」とFに話しかけるだけであり、Fも晃平がドアの前に立っているのを見て「だめだよー」と声をかけるだけであった。
 (4) なお、ショートステイWITHは、もっぱら共同作業所WITHの職員が兼務する体制であり、職員に過度の長時間勤務を強い職員に過労を生じさせた結果、ショートステイを担当する職員による介助に困難を来していた可能性がある。
2 不法行為責任
 上記A及びFは被告の被用者であり、晃平は、被告の事業の執行につき、両名が前項(1)ないし(3)の過失を犯した結果死亡したものであるので、被告は民法715条に基づく責任を負う。

第5 晃平の人生
 詳細は、別紙「亡晃平の人生」記載のとおりである。以下、形式的概要を述べる。
1 家族構成
 晃平は、平成4年1月22日、母原告伊藤啓子、父Jの間の二男として出生した。
 晃平は夫婦の4番目の子で、兄弟は上から順に姉である原告●●(昭和56年2月4日生)、同じく姉である原告●●(昭和57年3月10日生)、兄である原告●●(昭和60年12月13日生)である。
 父Jは、晃平の障害を受け止めることができず、晃平が守山養護学校小学部5年生だった平成14年11月に家を出て家族と別居した。
2 経歴
 晃平の障害は、晃平が3歳の頃に判明した。
 晃平は、平成8年6月知的障害児通園施設「名古屋ちよだ学園」に入園し、平成10年3月、同園を卒園した。
 晃平は、平成10年4月、守山養護学校に入学し、平成16年3月まで小学部に、平成19年3月まで中学部に在籍し、平成19年4月に高等学部に進学し、死亡時、高等学部1年に在籍していた。
3 晃平の発達段階
 晃平は、原告ら家族の愛情に包まれて育ち、また、原告啓子の親族を中心に親族も晃平のことを可愛がって育てた。小学部高学年から高等学部までを通じて担任にも恵まれ、中学部以来、ずっと落ち着きをみせるようになり、成長がめざましかった。

第6 損害額
 晃平に生じた損害(請求の趣旨第1項)
(1)逸失利益 金4011万5677円
 平成18年の産業計・企業規模型・男女計・全年齢計の平均賃金は489万3200円である。
 18歳から67歳までの稼働年数50年に対応するライプニッツ係数は18.2559であり、18歳までの2年間に対応するライプニッツ係数は1.8594である。
 生活費控除率を50%として、晃平の逸失利益を算出すれば、金4011万5677円となる。
 489万3200円×(1-0.5)×(18.2559-1.8594)
(2) 慰謝料
 晃平は自らの重度の障害と直面しながら、必死に生きてきた。原告らを初めとする家族や親族、そして知的障害児通園施設から養護学校高等部に至るまでの先生らから、その愛くるしく、人なつこい性格を愛され、これに答えるようにめざましい成長を続けていた。晃平の人生にはまだ無限の楽しさと豊かさが待っていた。わずか15歳11ヶ月でその豊穣な可能性に満ちた命を奪われたものであり、その精神的苦痛は察してあまりある。よって晃平の生じた慰謝料は3000万円をくだらない。
(3) 葬儀費用 金170万円
(4) 合計
 以上により、晃平に生じた損害は7181万5677円となる。
2 相続
 晃平の母親である原告伊藤啓子及び父親である訴外Jが晃平の損害賠償請求権を相続したが、Jはその相続分全てを伊藤啓子に譲渡した。
 原告伊藤啓子は、上記相続した損害賠償金の内金5500万円の賠償を請求する(一部請求)。
 なお、訴外Jは、自らの子が重度の障害を有している事実を受け容れることができず、家族から離れて一人、家を出ており、原告伊藤啓子とは別居状態にある。
3 近親者固有の慰謝料
 原告らは、晃平の愛らしい性格に癒され、晃平を喜ばすことを生き甲斐として、晃平を慈しみ育て、その成長を楽しみにしてきた。原告ら家族の中心にはいつも晃平がいた。
 晃平の死亡により、原告らが被った精神的苦痛は人生を喪失したに等しく、計り知れない。
 原告伊藤啓子については、近親者固有の慰謝料として500万円を、晃平の姉である原告●●、原告●●、及び兄である原告●●については、慰謝料として各自300万円を下ることはない。
4 弁護士費用
 本訴に要する弁護士費用は、690万円が相当である。
原告伊藤啓子については、金600万円が、原告●●については、金30万円が、原告●●については、金30万円が、原告●●については、金30万円が弁護士費用となる。
5 損害(まとめ)
(1)原告伊藤啓子について
 相続した損害賠償金内金  金5,500万円
 固有の慰謝料        金  500万円
 弁護士費用          金  600万円
  合計               金6,600万円
(2)原告●●●●について
 固有の慰謝料        金  300万円
 弁護士費用           金  30万円
  合計               金  330万円
(3)原告伊藤●●について
 固有の慰謝料        金  300万円
 弁護士費用          金   30万円
  合計              金  330万円
(4)原告伊藤●●について
 固有の慰謝料        金  300万円
 弁護士費用           金  30万円
  合計              金  330万円

第7 本件の提起する本質
1 問題の提起
 本件訴訟において原告らが提起する問題の本質は、知的障害があり、自閉症であることを理由にこの世にたった一人しかいないかけがえのない個性をもった晃平の生命が奪われたことに対する損害賠償額が通常人の4分の1程度に過ぎないとする被告主張の不当性を根源から問うことにある。
 死亡事故は決して取り返しがつかない。死者を返してほしいという遺族の願いは、この世で最も不条理に拒まれる不可能な願いの一つである。違法に奪われた命に対する、せめてもの償いが現行法では損害賠償の形を取る。
 いうまでもなく、賠償の対象となる損害は、違法に奪われた命そのものであり、命そのものに対する原状回復に代わる賠償である。命に対する補償がその本質であることは異論があるまい。
 だとすれば、命に対する賠償額が、その属性によって左右されること自体、本質的な問題がある。これは個人の尊厳を基本的人権の根底に置き、合理的理由のない差別を禁止する憲法の価値観と深く関わる問題である。
 被告は、晃平が「生きていても社会に対する利益がないケースだ」と言い切り、逸失利益は存在しないとし、不当に低額の賠償金に固執している。慰謝料ですら、最低水準の金額の提示に拘泥し続けている。
 被告の姿勢は、知的障害者の命は、通常人以下にしか値しないと宣言するに等しいのである(ちなみに後記西原道雄論文は、このように命の値段に格差が生じるをことを、列車事故の救命活動にたとえ、100万円の命を二つ救うより2000万円の命を一つ救うことが重要であるとは誰も考えないだろうとして問題の本質を喝破している)。
2 逸失利益算定の問題性
 もともと死亡事故において、積算方式を用いることには不自然さが伴う。とくに、積算される損害としての逸失利益の算定方式には、根本的な疑問がある。
 逸失利益は、死亡しなかったとすれば、稼働可能年齢まで働いたものとみなし、その間の収入を擬制し、一定の割合で生活費を控除し、中間利息を控除して算定される。この逸失利益が相続人に相続されるとみなすのである。
 この計算式は、極めて不確実な可能性を恰も所与のものとみなすことによって初めて成立する。
 基礎となる収入の確実性がまず問題である。実際に得ていた平均収入を基礎とするのが原則であるが、平均収入に長期間(長い年数)を乗じることには合理性がない。このことは算定基礎とする金額について、賃金センサスを用いる場合でも変わりはない。むしろ被害者の属性によって一律に算定基礎を擬制することによって、いっそう矛盾は深まる。
 この方式によるときは、単純に女性の逸失利益は男性に比して少額となる。これは個人の尊厳に由来する男女の平等に明らかに反する結果をもたらす。学歴等の属性を導入すれば、その矛盾はいっそう拡大する。
 生活費の控除も、それぞれの被害者の個性を捨象して初めて成立することはいうまでもない。相続構成は、被害者が死亡せず、平均寿命まで定額の収入を得た上、生活費として必要以外の収入は遺産として残して死亡するという著しい不確実性を所与としている。
 この算定方式が、およそ科学的検証に耐えないことは明らかである。西原道雄教授は早くも1965年に「この算定があいまいな蓋然性を基礎としたきわめて不正確なものであることは明らかである」(甲19。「私法」27号107頁『生命侵害・傷害における損害賠償額』)と断定している。西原は、逸失利益算定の基礎となる収入、生活費、労働可能年数について詳細に論じた上、「一見精密そうな外形をとってはいるが、その実きわめて不正確な蓋然性に基づくものに他ならない」と断じる。中間利息控除に至っては、「本来は不要な枝葉末節の問題であって、その結果生じる端数は、弁護士・裁判官・学者等にあたかも賠償額全体を正確に算出したかのような幻想を与える気休めにすぎない」とまで論難している。
 西原の批判に対する科学的検証に耐える反論は今日までなされていない。
3 逸失利益算定方式の現代的矛盾
 そもそも死亡事故において、現に得ている収入(ないし賃金センサス)に基づく逸失利益算定方式を用いることは、高度成長あるいは経済が右肩上がりで成長していくという前提のもとで初めて一応、合理性の装いを保つことが可能であった。この算定方式は、ほぼ均一に経済成長が続く社会状況を前提として、初めてその非科学性を糊塗することができていたに過ぎない。裁判実務で広く用いられている逸失利益算定法は、少なくとも死亡事故においては命を評価するために採られた便宜的な手法の一つであったに過ぎない。
 この逸失利益算定方式は、昨今の激しい経済変動の中で、現実的な調整方法としてもその妥当性は失われつつある。
 今日の格差社会においては、生活保護基準以下の収入しか得られない層が広範に存在する。「すべり台社会」(湯浅誠「反貧困」)と形容される現代社会において彼らの将来収入が蓋然的に改善する可能性は極めて乏しい。彼らの将来収入は縮小する蓋然性の方がはるかに高いのである。
 いったんレールからはずれれば、労働条件は劣悪化の一途をたどる格差社会では、それらしい将来収入を見いだそうとすると、最終的には最低賃金あるいはホームレスになる可能性を視野に入れて蓋然性を考えざるを得ない。低収入の者に関する逸失利益算定に当たって、将来的な改善を見込んで平均賃金を用いる社会的基盤が崩れてしまっているのである。知的障害者の自立支援事業を営む被告にして、逸失利益ゼロとの主張に固執しているのであるから、近い将来、保険会社が「滑り台」を落ち始めた被害者に対して、心ない主張をする可能性は否定できない。
 また、逆の問題も生じる。一億総中流と言われた時代はすでに遠い過去になった。所得の二極分化はますます進行している。今日では年収数億円の経営者も珍しくはない。あるいは高額な利殖者(不労所得者)も少なからず存在する。従来の算定基準によれば、こうした者の逸失利益は数十億円に上ることになる。裁判所は賠償額がおよそ非常識な金額に上れば、継続的にそのような収入が得られる可能性を否定することを試みるであろう。
 しかし、蓋然的にいえば、収入が巨額に及ぶ者ほど、その収入を有利に運用することによって、金融市場における有利性を発揮して、ますます利益を増大させていくのが現実である。
 したがって、収入が得られる蓋然性によって逸失利益を算定する限り、かかる損害額の調整を合理的な推定によるものとみなすことは不可能であろう。
 総じて言えば、平均賃金に収束させようとする従来の逸失利益の算定手法は、中間層が分厚く存在した社会において適合的であったかもしれないが、中間層が崩壊の危機に瀕している現在においては、有効性を持たない。この手法による限り、命の価値は、ますます開いていくことが避けられないのである。
 これまで当たり前のごとくなされてきた生命侵害の損害額の算定方式を根本から問い直すべき状況が生まれてきている。
4 命の差別
 このように逸失利益算定手法はおよそ科学的批判に耐えないものであり、法政策的に考えても命における差別を制度化したものであって、個人の尊厳という根底的価値、個人の平等の原則に反する疑いが濃厚なものであり、その矛盾は一般例でもいっそう拡大しつつある。
 従来、命の差別の典型は主として、男女差で問題とされてきた。
 裁判所は、慰謝料を高く算定したり、生活費率を女性については低めに設定したり、主婦の休業損害を平均賃金で擬制したりする手法を用いて、総額において男女差が著しくならないようにし、この不合理な不平等を埋めようとしてきた。
 裁判所は、逸失利益で差を付けながら、一方で問われている本質が命の値段であることに自覚的ではあり、そのため積算基礎となる逸失利益の算定方法に種々の擬制を加えてきたのである。
 しかし、本件においては、そのような小手先の技術では、命に付ける値段の不平等を十分に埋めることは不可能である。そのような方法では、晃平の命は、せいぜいが最低賃金に依拠するか、障害年金に依拠する以外に算定ができない。そしてその算定額は法の下の平等に反する低額なものとなる。
5 人間観の問題
 この問題は根底において、極めて哲学的な課題に直面せざるを得ない。人間の命の価値は何によって定まるのかという問いである。
 逸失利益を積算基礎とする賠償額算定の基礎には、一定の人間観が横たわっている。それは、人間を経済的・金銭的な利益を生み出すものとみなす考えである。
 これは、知的障害者や自閉症児は「生きていても社会に対する利益がないケースだ」とし、収入を挙げることができない命は安く算定されても当然であるとする被告の主張に典型的に表れている。知的障害者や自閉症児の自立支援を事業として営んでいる被告にして、そのような主張をしてはばからないのである。
 前記西原論文は逸失利益を損害とするこうした考え方自体が、「人間を利益を生み出す道具のように評価し取り扱う」ものとして厳しくその人間観を問う(前掲113頁)。この問いは、被告に鋭く向けられたものである。
 人の本質が、経済に貢献することに尽きるものではないことは当然であるし、仮に経済への貢献が人の本質の一部を構成するとしたとしても、それは人の本質のごく限られた一部に過ぎない。むしろ経済に絡め取られてしまった人間観が現代社会の様々な病理と困難を生んでいることから目をそらすべきではない。
 西原は、「奴隷制社会ならばともかく、近代市民社会においては人間およびその生命は商品ではなく交換価値をもたないから、一面では、生命には経済的価値はなく、これを金銭的に評価することができない、との考え方がある」とする(同109頁)。
 そして「しかし他面、人間の生命の価値は地球より重い、すなわち無限である、との観念も存在する。生命の侵害に対しては、いくら金を支払っても理論上、観念上、これで十分とは言えないのである。」と続ける(同109頁)。
 いずれの考え方によろうと、「人間を利益を生み出す道具のように評価し取り扱う」人間観は哲学的に是認される余地はない。かかる人間観を肯定するとすれば、極端なカジノ経済擁護者との非難を免れないというべきである。
6 定額化
 命という根源的な価値に対しては、法の下の平等は厳格に貫かれるべきである。少なくとも理念的にこれを否定することはできない。
 西原は、上記のような人間の生命の評価に関する否定しがたい二律背反を踏まえ、生命侵害の損害賠償に当たっては、経済的な算定方法を用いる手法をやめ、定額化することを提唱している。
 定額化を前提とした上で、加害者側の非難可能性の程度と、被害者側の過失の有無・程度によって、事案の個別性を賠償額に反映させようとするのである。
「人間を利益を生み出す機械」と考える限り、晃平のような例は、決して十全な賠償を得ることはできないのであり、西原の定額化の主張が最もその合理性を有する事案というべきである(なお、高額所得者については、残された遺族の急激な収入減少回避の課題はあるが、高額所得者は生命保険等によってリスクを回避することが可能であるし、現に圧倒的多数の高額所得者がそうした方法をとっている。
 したがって、遺族の高水準の生活の維持の保障という問題は現実的には考慮する必要はないであろう。西原前掲同趣旨)。
 本件については、面接時において、全介助を求めた原告伊藤啓子の意見に反して全介護の措置を採らず、ショートステイの場所の急激な階段の落差や、原告が強く求めていた階段への扉の無施錠等々、被告側の有責性は極めて高い。
7 民事訴訟法248条の基づく損害額認定の法的妥当性
 本件について、男女全年齢平均の賃金額をベースとした逸失利益の算定方法を採用しているのは、以上のような考慮の結果である。
 これまでの賠償額の算定手法を一挙に変更することの実務上のむずかしさに配慮して、平均賃金方式を敢えて採用した。この手法は、人の命に軽重はないとする誰も否定できない哲学思考及び民法90条を介して間接的に適用される憲法14条に根本的な法的根拠を置いている。
 民事訴訟法248条は、「損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、相当な損害額を認定することができる」と規定する。
 命は根源的に平等であり、かつ評価不可能である。死亡事故における損害額は、まさに民事訴訟法248条を適用して損害額を認定するべき典型例というべきである。

第8 結論
 よって、原告らは本件契約に基づく被告の安全配慮義務違反ないし不法行為による責任に基づき、被告に対して、請求の趣旨記載の損害賠償を求めて本訴に及ぶ(民法415条、709条、715条)。

証拠資料
1  甲1号証    愛護手帳(写)
2  甲2号証   死亡届・死亡診断書(写)
3  甲3号証    救急活動報告書(写)
4  甲4号証    戸籍謄本(筆頭者伊藤●)
5  甲5号証の1  相続分譲渡証書(原本)
甲5号証の2  印鑑証明書(原本)
6  甲6号証    戸籍謄本(筆頭者●●●●)
7  甲7号証    写真帳
8  甲8号証    陳述書(原告伊藤啓子)
9  甲9号証    陳述書(原告●●●●)
10 甲10号証  「指定単期入所事業」利用契約書(原本)
11 甲11号証  「指定短期入所」重要事項説明書(原本)
12 甲12号証   内容証明郵便(原告から被告宛・1月18日付・原本)
13 甲13号証の1 書状(被告から原告宛・1月24日付・原本)
   甲13号証の2 事故状況報告書(被告作成・原本)
14 甲14号証   御通知(被告代理人作成・1月25日付・原本)
15 甲15号証   連絡書類(あいおい損害保険作成・2月25日付・原本)
16 甲16号証   連絡書類(同上作成・3月5日付・原本)
17 甲17号証   内容証明郵便(原告作成・3月7日付・原本)
18 甲18号証   御返答(被告作成・3月11日付・原本)
19 甲19号証   「生命侵害・傷害における損害賠償額」(西原道雄)

添付書類
1 甲号証(写) 各1通
2 資格証明書    1通
3 訴訟委任状  4通

        当事者目録
〒●●●-●●●● ●市●区●●-●-●
            ●●●●●●●●
原告   伊藤啓子
〒●●●-●●●● ●市●区●●-●-●
            ●●●●●●●●
原告   ●●●●
〒●●●-●●●● ●市●区●●-●-●
            ●●●●●●●●
原告   伊藤●●
〒●●●-●●●● ●市●区●●-●-●
            ●●●●●●●●
原告   伊藤●●

〒463-0057 名古屋市守山区中新10-8 シャンボール小幡2階B号           守山法律事務所(送達場所)
                原告訴訟代理人弁護士  岩月浩二
(TEL 052-792-8133 FAX 052-792-8233)
                   
〒460-0011 名古屋市中区大須四丁目13番46号
          ウイストリアビル5階 名古屋共同法律事務所
原告訴訟代理人弁護士  中谷雄二
(TEL 052-262-7061 FAX 052-262-7062)

〒462-0802 名古屋市北区上飯田南町5丁目52番2
被告   社会福祉法人 名北福祉会
    代表者理事   Y

(伏字、改行、太字装飾追加、他原文ママ)