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原告 訴状添付陳述書(姉)

姉と母とこうちゃん


陳述書(提訴に当たって)

●●●●

 晃平は私たち姉や兄にとって、10才以上歳が離れていて、とてもかわいい弟でした。晃平の行動や表情一つ一つは、私たちから見たら幼く純粋で微笑ましかったです。人よりハンディをもっていたけれど、私たちはそんなもの関係ない。ただの世間体でしかなく、元気で明るい一人の立派な弟です。

 よく公園に一緒に行きました。晃平が大好きな砂遊びや滑り台。私たちは汗をかいて、時には泥だらけになり一緒になって遊びました。晃平が楽しんでいる姿を見て、私たちも楽しくなり、毎回、一緒に遊びに来てよかったと思えました。
 毎年夏に家族、親戚一同で行く泊まり旅行。晃平は大好きな車に長時間乗れる事、大勢の皆と一緒だという事、いつもとは違った場所だという事を感じとってか、普段以上にとても楽しんでいました。旅館でも、道のりの途中でも、私たち姉兄は自然と晃平と手をつなぎ行動していました。

 プールや水遊び、お風呂が大好きな晃平のため、プール付きの旅館を選び泊まっていました。もちろん貸切風呂も。貸切風呂が借りれない時は、兄、●●が晃平と一緒にお風呂に入りました。プールは最初は冷たくて入らないけれど、私たちが入って遊んでいる姿を見て次第に慣れていき、全身水浸しになり遊びました。「来年はもっと成長しているから、今年とは違った姿の晃平が見れる」という気持ちで、毎年楽しみな旅行でした。

イルミネーション  晃平が亡くなる一週間前、イルミネーションを見に行きました。家族皆で一緒に。晃平はキラキラ光るイルミネーションを、すごい笑顔で飛び上がって見てました。そんな姿を見て「来年はどこを見に行こう。また違う所へ行って喜ばせてあげたい」と考えていました。この日の晃平もすごく楽しそうで、晃平なりの言葉で一生懸命、私たちに話しかけてきてくれました。きっと「楽しいね!ありがとう。」と言っていたのだと思います。

 家での晃平の様子は、私たちが外から帰ってくると、すぐに駆け寄ってきてすごく嬉しそうな顔で「遊ぼー」と言わんばかりに手を引っぱってきました。私たちは着替える間もなく、晃平と大きなボールを投げて遊んだり、一緒におやつを食べたり、晃平をおんぶして音楽を聴きながら踊ったり。そんな一時が楽しかったです。
 晃平が出かけていない時は、家の中がすごく静かで、私たちは退屈で物足りなくて、晃平の帰りを待っていました。
 毎日一緒にご飯を食べて、遊んで、お風呂に入って、くっついて寝て、朝は元気な声で起こされる。毎日晃平に癒され、笑いが絶えない家族でした。
 そんな弟の命が、ある日突然、なんの予兆もなく、あり得ない人のミスにより失われました。

 病院に着くまでの道のり。ずっと神様に祈り続けました。「晃平が無事でありますように。助けて下さい。」と。しかし、祈りは届きませんでした。
 脳内が出血だらけのレントゲンを見て、医師から言われた言葉。「手術の施しようがありません。助からないでしょう。会わせておきたい人に会わせてあげてください。」
 私たちは思考回路が止まった。地獄へ落とされた。絶望的だった。夢であってほしい。何で・・・どうして晃平が・・・。
 それからの時間は残酷にも勝手に過ぎていきました。病院のベッドの上には、目を閉じて苦しそうで、全く動かず、全身チューブだらけで酸素マスクをした晃平の姿があった。
 私たちは涙も出なかった。なぜ・・と思うだけだった。ただただ、かわいそうでした。本当だったらチューブなんて嫌がって取り外して逃げ出すはずなのに・・・。
 晃平が逝ってしまうまでの15時間は無情にも過ぎていきました。助からないとわかっていて、私たちは何を待ち続ければいいのか。けど私たちはずっと晃平の傍らから離れなかったです。いつ様態が急変するかわからなかったから。傍にいてあげたかった。ずっと手を握り呼びかけていました。もしかしたら目を開くかもしれない、と願いながら。しかし、無情にも願いは届きませんでした。

 式には何百人もの晃平の友達や学校の先生、元ヘルパーさん方、姉兄の友達が見送りに来てくれました。それだけ皆に愛されていたんです。
 微笑んでいる晃平の遺体を見るのが辛かったです。

 突然、晃平がいなくなった今、私たち姉兄と母親、親戚は皆で支え合い、胸が裂けそうなくらい毎日悲しくて辛く、叫びたい気持ちを抱えながら生きていくしかありません。
 家の中に残っている晃平が残した傷やよごれ、そして遺品の数々。全てが晃平が生きた証です。もう写真でしか見ることのできない晃平の姿。二度と声は聞けない。もう一度、 晃平の肌に触れたい、抱きしめたい、遊びたい。
 毎日の晃平との生活が楽しくて、元気で明るい晃平が一日一日成長していくことが私たちの生き甲斐でした。突然、その生き甲斐を失いました。
 大切な一人の家族の命がなくなった今、生きている心地はしません。一生、この突き刺さったような消えない傷を抱えて生きていかなければならないでしょう。

こうちゃんと車  晃平は目を見て会話をしてくれるようになりました。毎日楽しく学校へ通い、いろんな経験をして成長してきました。家族との関わりにより、たくさんの事を学び、喜びを知り、日々生きてきました。確実に日に日に成長してきました。この先、もっともっと成長していく姿を楽しみにしていました。まだまだこれから家族や友達、ヘルパーさん方とやりたい事があっただろう。
 教えてあげたい事がたくさんありました。連れて行ってあげたい所がたくさんありました。もっともっといろんな経験をさせてあげたかった。
 なんで晃平が、どうして・・・。なんで晃平がいないのだろう・・・。どうして15年という短い生涯を一瞬にして終えなければならないのだろう。できるならば代わってあげたい。まだまだ生きてほしかったです。
 生き甲斐だった晃平はもう帰ってこない・・・。返してほしい・・・。

平成21年5月27日

名古屋地方裁判所 御中