×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

意見紹介

中学校で授業の教材に使われました

「伊藤晃平君裁判」が中学校の社会科の授業で教材としてとりあげられました。中学生たちは、この裁判をどのように感じてくれたのか、興味のあるところです。感想文からは、大人たちが学ばなければと実感させてくれました。
 近県の村立中学校・第3学年で、「中学校社会科研究部会 」による授業研究会が開催されました。(学校の授業として)今回のテーマは、「人権と共生社会」です。
 その教材に「障害者の命の代償に平等と尊厳をもとめて・障害のある伊藤晃平君の施設内死亡事故裁判」が事例として取り上げられました。
 きっかけは、M教師いわく、『新聞朝刊の1つの記事が目に留った。そこには、「憲法の精神 命は平等」という見出しがついていた。憲法記念の一環として報道された記事だが、私は大きな衝撃を受けた』これが、授業に取り上げるきっかけでした。そして、ぜひ、生徒たちに考えてほしい、という思いから、授業研究の教材となりました。
 伊藤晃平君裁判を支援する会に問い合わせがあった時、「大丈夫ですか?」と老婆心的な質問をしました。そうすると、「やってきているから」と確信に満ちた回答がありました。さらに、どうしてと尋ねると「いろいろ学習してきたから」と数件の事例をあげられました。学習指導案には、以下のような記載がありました。

「人権と共生社会」(全10時間)題材名(要旨抜粋は落合)
 ① わたしたちの身の周りにはどのような差別があるだろうか
 ② なぜ未だに部落差別が続いているだろうか(2003年連続大量差別ハガキ事件)
 ③ 憲法ではどのような自由が認められているのだろうか
 ④ なぜ無実の河野さんが犯人にされてしまったのだろうか(松本サリン事件)
 ⑤ 朝日訴訟・朝日茂さんの生活は、最低限度の生活といえるのだろうか
 ⑥ 筋ジストロフィー患者が高校入学を拒否された
 ⑦ 基本的人権を守るための権利とはどのような権利だろう
 ⑧ 大阪国際空港騒音公害について
 ⑨ 国際的な人権の広がりとして、どのような事例があるだろうか
 ⑩ 障害のある伊藤晃平君の施設内死亡事故裁判について

 このように学習がされてきました。最後の教材に採用していただいたのが「伊藤晃平君裁判」です。晃平君は15歳でした。同年齢の中学3年生たちは、どのように感じたのでしょうか。24名中6名の感想文を紹介します。(見出しは、落合が付けました。)

  • 私がその立場だったら「許せません」
     晃平さんのように「障害者だから」という理由で差別されるのがなくなっていくといいなぁと、思いました。
     もし、私がその立場だったら命まで差別されるなんて許せません。人は法の下に平等であり、個人として尊重されるものであるのだから、どんな障害者だとしても生きる意味はあるし、一人の人間として認められることが大切だと思います。
     私ができることは、障害者でも平等にせっすることだけしかないけど、すごく大切なことなので実行していきたいです。

  • 障がい者への差別や偏見はおかしい
     今日の授業を通して、障がい者を差別や偏見の目で見ることはおかしいということを初めて感じました。
     もし、自分の子供が晃平さんのような立場だったら、悲しくて、くやしいです。だから、啓子さんも言ったように、障がい者でも、一人の人間として当たり前に見られるような社会を作っていきたいと私も思いました。
     そのためにもまず自分が差別や偏見をなくしていけるようにしたいです。

  • ひどい言いかた「生きていても利益がない」なんて
     今日の授業をして、晃平さんも啓子さんもかわいそうだと思いました。理由は、法の下に平等で差別されないはずなのに、「障がい者だから」と平然と言われたからです。しかも、親の大切な子供を大人に「生きていても社会に対する利益はない」と言われて、とっても悔しいだろうと思いました。
     だから、これからは、障がい者だからと言わずに、同じ人間として障がい者の人を見ていきたいです。また、こまっている人がいたら助けてあげたいと思いました。

  • 障がい者だけに限ったことでない
     啓子さんは、ただお金が戻ってきてくれて晃平君が認められるのを目指しているんじゃなくて、憲法にかいてある一人の人としてこの世界にいるものとして認められて、すべての障害者が平等に生きられる社会を目指しているんだと思います。
     そして僕にできることはまず一人一人の人の見方だと思います。それは障害者だけに限ったことだけではなく、友達や家族、全ての人を平等に見て教えていくことが僕にできることだと思います。

  • 施設のユニバーサルデザインこそ問題
     僕は、晃平さんは、障がい者としてしか見られてないと思います。もし亡くなって逸失利益を普通にもらっても、お母さんや仲間の心の傷は消えないと思います。もし、僕が晃平君のお母さんだったら、障がい者が入居して来るのに、ユニバーサルデザインを取り入れない短期入所施設をうったえます。
     この単元を通し、一番大事だって思ったのは、助け合って生きていく事だと思いました。僕ができる事は、障がい者などに普通の人間として接しうる事はもちろん、助け合って共生社会を創り上げていきたいです。

  • 周りを見渡せる伊藤啓子さんすごい!
     伊藤さんが裁判をおこして認められても、また、逸失利益がゼロといわれてしまうことがあるので、やはり、伊藤さんが資料の最後の方に言ったように、すべての障がい者が人権と尊厳を保障される社会にしていかなければいけないと思いました。
     だから、自分の家(うち)のことでやめず、まわりまで見わたせる伊藤さんはすごいと思いました。
考 察

24人全員の感想文を紹介すると良いのですが、大部分を割愛し、6人の感想文で授業内容と学習効果、中学生もなかなかの考えを持っていることをおわかりいただけると思います。紹介できない18名の感想文も同様の趣旨で感想が綴られています。私は、多くの事を学ばされました。

  1.  澄んだ瞳で「障害者の命の代償に平等と尊厳をもとめて・伊藤晃平君裁判」を見るならば、これらの感想文に代表されるように、この事件は差別であり、人としての尊厳を蹂躙するものであるということになります。生徒たちは、憲法の保障している基本的人権から学びを深めています。
  2.  大人の論議も、ここから出発してほしいのです。裁判は、この点を深めて、中学生に恥じない、弁論を展開させてほしいのです。
  3.  生徒たちは、伊藤晃平君裁判の逸失利益を通じて「人権と平等」について学んでいます。基本的人権を守るために、自分たちのできることとして「障がい者だからと言わずに、同じ人間として障がい者の人を見ていきたいです」と、書いています。損害保険会社も社会福祉法人も学んでほしいものです。
  4.  同じ人間として障害者を見る時、「逸失利益がゼロ」はあり得ないのです。
     その時に「慰謝料を増やして」という声があります。しかし、例えば、慰謝料1,000万円が相当な2人がいて、一人は健常者だから1,000万円、もう一人の方は障害者だから2,000万円の慰謝料としたら、逆差別が発生し、平等が損なわれるのです。これは、部落問題で行政の対応が「逆差別を生む」と大きく社会問題となりました。逆差別をうみだすことはできません。
  5.  逸失利益と慰謝料は異質のもので、同一視するわけにはいけません。
     特に重度障害者の場合、「居住県内の最低賃金で算定する」という例が、いくつかの地方裁判所で和解や判決で出されてきだしました。障害者の人権と尊厳を守る方へ大きな転換点が闘い取れだしています。
     重度障害者の泣き寝入りから、人権と尊厳を守る方向に大きくかじを切り替えなければなりません。「障害のある伊藤晃平君の施設内死亡事故裁判」は、これを求め、重度障害者の誰もが、人権と尊厳をもとめているのです。
  6.  障害のある伊藤晃平君の施設内死亡事故裁判を支援する会(略称:伊藤晃平君裁判を支援する会)は、①事故の真相究明 ②再発防止 ③障害者の誰もが人権と尊厳にかなう損害賠償等を求めています。
     本裁判にて、伊藤晃平君裁判を支援する会の果たす役割は、ますます重要になっていることを、中学生たちの感想文から実感できました。

2010年7月18日
伊藤晃平君裁判を支援する会・落合幸次