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証拠保全申請時の陳述書


            陳述書
平成20年  月  日
名古屋地方裁判所 御中

1 私の二男伊藤晃平は、平成19年12月22日、ショートステイWITHに宿泊中、階段から転落し、急性硬膜下血腫ため15歳の幼い命を失いました。
  私には、4人の子どもがありますが、上の3人はすでに成人に達しており、やや離れて生まれた晃平は、重度障害がありましたが、それだけに晃平の成長は私にとって生きる支えにもなっていました。重度障害のために手がかかるため晃平の養育には他の子どもたちはむろん、私の兄姉や姪等も積極的に関わってくれ、晃平を失った悲しみは遺族に共通する重いものです。
  私たちは、この間、相手方である名北福祉会に再三、真相の解明や謝罪、補償を求めてきましたが、相手方は直接の担当職員と私たちの接触を拒む等、積極的に真相解明をしようとする姿勢がなく、接触の経過を強引にねじ曲げてしまう等、不審な点が多く、このままでは、晃平の死の真相が闇に閉ざされてしまうように思えてなりません。

こうちゃん 2 今回、晃平にショートステイを体験させようとしたのは、晃平も高校生になったので、宿泊体験を通して人との接触を図り、社会的にも成長してほしいという願いからでした。
  区役所からショートステイ施設の一覧表をもらい、その評判なども聞いて、名北福祉会(以下、福祉会といいます)が運営する「ショートステイWITH」を利用することにしました。
  夏休みに電話連絡をしたところ、職員の体制が整わないので、また連絡してくださいとのことで、秋口に連絡したところ、10月27日には受け入れできるので、その日までに晃平を連れて面接に来るように言われ、ヘルパーの方とも日程をあわせて、10月26日午前10時頃に晃平を連れてヘルパーの方と一緒に「WITH」を訪れて、面接しました。
  「WITH」の面接は、AさんとBさん(「WITH」に着いたときにはAさんだけがおられましたが、もう1人来ますので、しばらく待ってくださいと言われました。Bさんについては、自己紹介もされなかったので、今年の初めまで私はBさんが理事長のYさんと思い込んでいました)が担当され、晃平の状態や注意してほしい点や、ショートステイの目的等について、1時間程度、話をしました(晃平は30分ほどでヘルパーの方に守山養護学校に連れていってもらいました)。
  ここで私は、全介助(日常生活の全てについて付き添って、危険から守り、介助する、常に職員の手の届く範囲に置いてもらわないといけない)でお願いします、危険なことが判断できず、出入り口があれば勝手に出ていってしまうので鍵を付けたり援助してください、食事は何でも食べられる、ナイフとフォークが使えないので、使えるように指導してほしい、精神安定剤を眠る前に指定の分量を飲ませてください、トイレについては、トイレや便所という言葉は通じないので、うんこおしっこと聞いてもらいたい、トイレも自分で便器にすることができないので介助をお願いします等と晃平の状態について詳しく説明し、全介助をお願いしました。職員の方からは食事の好き嫌いの他には特に質問はなく、メモを取っておられました。
  この日、利用契約書と重要事項説明書を渡されて、当日(翌日)に持って来るようにということと、ステイの当日は午後4時に送り、翌日朝9時に迎えにきてくださいと言われました。

3 翌10月27日午後4時、私は晃平を連れて「WITH」に行き、柴山さんに晃平を預けました。
  翌朝迎えに行ったときもAさんしかいませんでしたが、Fさんという方と二人でみたということで、今後も二人体制でショートステイを進めていくということでした(メモにあったこと)。このとき、Aさんの自筆の記録(便せん1枚に4時から9時まで一時間刻みにメモをされたもの)を渡されましたが、事故後、私はAさんの文字を見るのも嫌で処分してしまったようで、現在手元にありません。
  この日は次の利用日を聞いて、帰りました。
  晃平は送り迎えも平静でしたし、帰ってからもいつもどおりで不機嫌な様子もなく平静でした。

4 その後、11月22日から23日も同様にショートステイをし、このときの送り迎えも同様でした。このときもAさんの自筆のメモをもらい、次の日程を教えてもらって帰りました(メモの意見欄には今後も二人体制で見て信頼関係を築いていきたいとあった記憶です)。

5 12月21日も同様に午後4時に晃平を送り届け、Aさんに預けました。

6 翌22日、午前5時30分頃、Aさんから電話があり、晃平が階段から落ちて、脳震盪で意識がないので、救急車を呼んだとの連絡がありました。
  30分くらい後に、第一日赤にいるので来てくださいというAさんからの電話があり、姪(私の姉Cの長女)のDに運転してもらって二女里奈、長男豊の4人で病院に向かいました。
  病院に向かう途中、看護婦さんと思われる方から、服用している薬の種類とてんかんの有無を確認する電話がありました。
  病院に着いて、1回目の検査でははっきりした結果は出ず、まだ検査中ですのでお待ちくださいということでした。
  看護婦さんからAさんには救急車から付き添ってもらっているので、帰ってもらったらどうですかと言われ、Aさんは帰りました。私はAさんがいることはわかっていましたが、Aさんからとくに話はありませんでした。
  午前7時30分頃に、長女の梶田知里夫婦が駆けつけました。
  2回目の検査の後、画像を示されて医者から説明がありました。脳全体に出血がひどくて脳幹が圧迫され、脳が強く揺さぶられてダメージが強く、手術不可能でとても危険な状態であと数時間の命という説明でした。
  その後、家族は晃平が亡くなるまでHCUで付き添っていました。Dの夫DAやその子のDB、DC、私の姉Cや兄Eも病院に来ていました。
  学校関係の方やヘルパーや晃平の友達家族なども駆けつけて見舞いに来てくれました。
  この間、昼前に、名北福祉会の方が来院したようですが、病室の前でDAが対応しました。DAの話では、職員が事故の状況を話し始めたところ、もう1人の男性職員が「寝てました」と発言して、遮ったそうです。
  長女の夫Sの話では、その後、廊下で呼び止めて改めてどういう状況だったかと尋ねましたが「寝てました」という話だったそうです。
  その後、私が何かの用で廊下に出たときに、名北福祉会の方が4人ほど来ているのが目に入りました。DAにGさんが名刺を渡して「いつでもいいから、何かあれば連絡下さい」とのことでした。
  午後8時頃、心拍がおかしかったので、長女がナースコールをして看護婦を呼び出しました。医者も来て、数分後に晃平の死亡を知らされました。

7 その後、病院から北警察署に連絡したようで、北警察署から刑事が数名、来て、検視が1時間くらいありました。司法解剖の必要性について判断するのにも結構時間がかかったようです。

8 12月23日、通夜、24日告別式が守山合掌殿でありました。
  通夜には、担当した職員の方は姿を見せず、Gさんともう1人の職員(後でBさんで施設の臨時管理者と知りました)の方がみえました。義兄のIから問い質されて、Gさんが事故状況について話したところでは、「5時頃からごそごそしていると思った。起きるかな、そのまま寝るのかなと思っていたら、布団から起きてトイレへ向かった。落ちた音で落ちたと気が付いた。見たら階段の下に倒れていた」ということでした。
  この時の説明では、晃平に声をかけたとか、状況を注意していたという話もありませんでした。事故状況報告書では「トイレ?」と尋ねたとありますが、私は最初の面接のときに「トイレ、便所」では晃平には理解できないので、「うんち、おしっこ」と具体的に尋ねるようにお願いしてあります。
  Gさんは「すみませんでした」と言われましたが、Bさんは頭を下げるだけでした。Gさんから「葬式に来たい」と話がありましたが、私が「もう式場には来ないでほしい」との私の意向を伝えたところ、そのまま帰っていかれ、告別式にも来られませんでした。

9 晃平の事故後、私は半ば錯乱状態で普通ではなかったので、長女の梶田夫婦か姪のD夫婦が常に自宅で付き添ってくれていました。私の安全のために泊まりで付き添ってくれたことは平成20年の2月くらいまで続きました。その後も時間がある限り、身内の者が自宅に来てくれて、私の様子を見守り、晃平を偲んでくれています。

10 12月28日夜9時30分頃、梶田夫婦とD夫婦が「WITH」へ晃平の遺品を引き取りに行きました。前日にGさんから電話があり、DAに「晃平さんの荷物ですが、届けに行きましょうか」との連絡があったため、遺族としても現場の状況を見ておきたかったので、取りに行くことにしたものです。私は、今でも晃平の事故の現場を見ることはできないので、身内の者が行くことになりました。
  長女夫婦やD夫婦の話では「WITH」ではA、F、Gさんが玄関にいて、職員が奥で立って様子を見ていたということです。Gさんが「すみませんでした」と言いながら、荷物を渡そうとしました。DAが「部屋の様子を見せてください」と言ったので、初めて「WITH」の人たちは遺族を建物の中に入れて、二階に上がらせました。A、F、Gも2階に上がり、DAが「もう一度、事故の状況を詳しく教えてほしい」と言ったところ、Aさんは「晃平君が起きたとき、僕たちは布団に入ったままトイレかいと声をかけました」と説明しました。Aさんは対応の遅さを非難されると、「すみませんでした。怠慢でした」と頭を下げました。DAが「理事長はいないのか」と質したら、初めて理事長が2階に上がってきました。DAが「どうするつもりだ」と質したら、理事長は「どうするとは」と聞き返し、D夫婦や梶田夫婦は見下されたような印象を強く受けたそうです。
  名北福祉会の3月11日付の「御返答」には、この日、福祉会の側では話し合いの用意をしていたとありますが、こちらから申し出がなければ、説明もありませんでしたし、荷物を渡してすめば、それですまそうという対応でした。呼ばれてようやく現れたくらいですから、理事長には話し合いをしようという態度などありませんでした。

11 12月29日、Gさんから、「お焼香させてください」との電話があったので、DAが電話を受けて「どうする」と私に聞きましたが、私は会えるような状態ではなかったため、お断りしてもらいました。

12 1月10日、Gさんから同様の電話がありましたが、前回同様、電話を受けたDAを通してお断りしました。
  同じ1月10日、Gさんから再び電話があり、長女の梶田知里が受けました。焼香をさせてくださいとの話がありましたが、「母がそんな状態ではない」と断りました。こちらから「墓代とか仏壇の費用はどうなりますか」と聞くと、しばらく無言でしたが「今、上司と話しています。それはまだだと言ってますよね」と強い口調で言われました。話にならないので、理事長と話がしたいので理事長の電話を教えてもらうように求めたところ、Gさんは「教えられません」と言いましたが、長女が粘ったところ、今日中には理事長から連絡させますと約束しました。
  しかし、その後、理事長からの連絡は一切ありません。

13 私は、親族とも相談して、平成20年1月18日、損害賠償について話し合いの場を設けることなどを求める内容証明を福祉会宛に郵送しました。
  1月25日頃、福祉会から今後の対応は名古屋北法律事務所に委任した旨の回答が事故状況報告書とともに送られてきましたので、翌日、私は同法律事務所に電話をして、長谷川一裕弁護士と話をしました。私が話し合いの日取りを入れてくれるようにお願いしたところ、長谷川弁護士は、翌日、私の方に電話で連絡をくれ、2月8日に同弁護士と加藤悠史弁護士の2人で私の自宅で話をすることになりました。
  前後して、同日、名古屋北法律事務所から賠償については、慎重に検討しており、猶予をもらいたい旨、「法人のしかるべき担当者から本件事故状況を説明する趣旨であれば、できる限り早い時期に持たせていただく」との「御通知」が送られてきました。

14 しかし、その後、2月5日頃に、あいおい損害保険株式会社(以下、あいおいといいます)のHさん(以下、Hさんといいます)から電話があり、2月8日は延期してほしい、弁護士と都合を合わせて日程を調整した上で、改めて2月15日までに日程を連絡するとの話がありました。その後、2月12日には、損害賠償についての話し合いはあいおいが担当することになったとの連絡がありました。

15 2月15日、Hさんが、一人で私の自宅に来られました。福祉法人からの伝言は何もなく、Hさんは、晃平が障害者なので、「生きていても社会に対する利益がないケースだ」と障害者を差別する見解を平然と述べたため、私は深く、傷つきました。
  2月25日、あいおいから愛護手帳の写しを送付することを求める書面が届き(甲8)、私は言われるまま愛護手帳のコピーを送りました。あいおいからは3月5日、慰謝料1450万円、葬儀費用100万円、合計1550万円を損害賠償の内容とする旨の書面が送付されてきました。
  通常の人には当然に発生する逸失利益は晃平については発生しないという内容で、障害者を命まで差別するのかと思うと、悔しくてなりませんでした。

16 3月1日、私の義兄(私の兄の妻の兄)Iが相手方に架電したところ、Gさんは、福祉法人としては、理事会で弁護士に任せることに決めたので会えないとのことでした。このため私は3月7日、改めて内容証明郵便で、相手方代表者との話し合いの場を3月17日までに私の自宅で設けることを申し入れました。

17 3月12日頃、福祉法人から「御返答」が送られてきました。代表者は病気療養中のため出席することができない、話し合いの場は名古屋北法律事務所とすること、話し合いの内容は補償の話ではなく、事実説明と再発防止に限るとするものでした。
  この回答は、本件事故時における担当者中、Aさんだけを参加させ、Fさんの参加を拒むものでした。また、代表者が同じ頃、名古屋北法律事務所の催しに参加していることを見たとの話を人づてに聞きましたので、私は福祉法人の対応に不審を強く持たざるを得ませんでした。
  その後、私と相手方の間では、どこで話し合いをするか等について、やりとりがありましたが、結局、3月17日にGさんとBさんが焼香と謝罪に訪れただけでした。その後のやりとりでは、「担当職員による謝罪は1回したので、もう全て解決するまでは遠慮してほしい」との代表者の意向がGさんから伝えられました。私は本件事故当日、Aさんが病院に同行していたのは確認していますが、直接の謝罪は受けたことはありません。Fさんに至っては、一度も会ったことがありません。

18  以上の状況で、私は、未だに福祉法人から晃平の事故状況について直接、説明を受けたことはありませんし、警察から聞く当事者の話と、福祉法人が文書で回答している事故状況にも食い違いがあります。まして直接の担当者からお話を伺う機会は一度もありませんし、福祉法人の方ではFさんを話の席から外そうとしています。福祉法人からは代表者とFさんを外した会合の意向は知らされていますが、弁護士によれば、何の証拠も保全することなく、こうした場に臨んでしまうと後で証拠資料を改ざんされたり、隠されてしまうおそれが高いということです。晃平の死の真相を明らかにするため、証拠保全をお願いする次第です。